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首都中枢に位置する銃騎士隊本部。
二番隊長の執務室で一人仕事をしていた二番隊長代行ジュリアス・ブラッドレイは、窓からの陽が当たらず暗くなった壁の一角に突如現れた人物に気づき、瞬時に幻視と防音の魔法を執務室の周囲にかけた。 ジュリアスは魔法使いだ。そのことはごく一部の者しか知らない。 「兄さん、すまない。しくじった」 声は幼さの残る若い女のものだ。部屋の影になった部分からその人物が一歩踏み出す。 目の前にいるのは、茶色の瞳を持ち、波打つ茶色の髪を肩まで下ろした十代前半くらいの少女だった。 「シリウス……」 ジュリアスは椅子から立ち上がり、その人物の本名を驚きと共に呼んだ。 家族だけでいる時、他の者に彼らの秘密が絶対に漏れることのない場面では、ジュリアスは弟を真名で呼ぶ。 目の前の少女の正体は、ジュリアスのすぐ下の弟であるシリウス・ブラッドレイだ。 シリウスもジュリアスと同様に魔法使いだった。少女の姿をしているのは自身の姿替えの魔法によるものだ。 少女の姿が一瞬にして青年の姿へと変わる。 白金色の髪を持ったシリウスの面差しはジュリアスに似ていて、冴え渡るような類稀なる美貌を誇っている。 ただ、シリウスの瞳の色は灰色で、紺碧の瞳を持つジュリアスとはそこが違っていた。 「妙な動きをしていることをシドに勘づかれた。ごめん、逃げてくるしかなかった。『ミランダ』はもう使えないな」 声も男性の低いものに変わる。ジュリアスの目の前にいる青年こそが、任務上は「オリオン」と偽名を使い、銃騎士隊の面々の前では茶髪の少年の姿になることが多い、弟シリウスの真の姿だった。 ブラッドレイ家は有名な一家で、シリウスという名前からブラッドレイ家の次男を連想する者は多い。 シリウスは獣人の里に潜入すると決めた時から「シリウス・ブラッドレイ」という本来の自分の存在を消してしまった。 シリウスは表向きは急な病に倒れ、医療の進んだ海の向こうの専門病院に入院していることになっている。 そして「オリオン」と偽名を名乗り、ジュリアスたちの指示の下で、諜報活動に特化した役を担うようになった。 偽名を使っているのは正体が暴かれることを防ぐ意図もあるが、シリウスにとっては一つのけじめでもあった。 「オリオン」がいなくなって「シリウス・ブラッドレイ」に戻る時、彼ら兄弟の目的は達成されているだろう。 ジュリアスがかけた魔法のおかげで執務室の会話が外に漏れることはないし、もし窓から誰か覗き込む者がいたとしても、ジュリアスが一人きりで机に向かい仕事を続けているようにしか見えないだろう。 「任務のことは気にするな。お前が無事に戻ってきて良かった。だが……」 ジュリアスが先程から困惑気味なのは、シリウスが腕に一人の獣人女性を抱えていたからだ。 その長い茶色の髪の女性に怪我をしている様子はなさそうだが、気を失っている。シリウスが獣人の里から連れてきてしまったようだ。「獣人」というが、身体上の特徴に獣の要素はない。シリウスが抱く女性の耳は人間と同じ形の耳だし、しっぽも生えていない。けれど彼らは身体能力や戦闘能力が高く、嗅覚がとても優れていて、基本的には肉食だ。
「魔法のことを知られてしまったからあのまま里には置いておけなかったんだ。兄さん、この子が前に話していた子だよ。俺、この子と結婚したい」
弟の結婚宣言にジュリアスは目を丸くしたが、やがてその顔に綺麗な笑みが浮かぶ。 「わかった。お前が好きな子と幸せになれるなら俺も嬉しいよ。 問題は父さんが良いと言うかだけど、今ちょうど不在にしているんだ。戻ったら俺と一緒に許可をもらいに行こう。その子の戸籍はこちらで何とかしておくから」 「ありがとう兄さん!」 やや緊張気味だったシリウスの顔がぱっと明るくなる。 「次の潜入の準備が整うまではまだしばらく時間があるよな! 結婚式できるかな!」 無邪気な様子で喜んでいるシリウスを、ジュリアスは申し訳なさそうに見つめている。 「シー、お前にばかり負担をかけてすまないな」 『ミランダ』は獣人の里に潜入するために作り上げた架空の人物だ。シリウスにまた別の人物に成り代わってもらい、潜入経路を確保した上で里に潜伏し、敵の情報を引き出してもらわなければならない。 獣人王シドのお膝元でそれをやるのは、命懸けの行為だ。 「いいんだよ、俺が自分でやるって決めたことなんだから」 シリウスの働きのおかげで、前もってどこの場所が「狩り」の襲撃に遭うのかがわかる場合があり、以前よりも人命を救えることが増えてきた。 ジュリアスが訓練学校を卒業し、一番隊を経由して二番隊に配属されたあたりから、シリウスも諜報活動を始めている。 ジュリアスが二番隊に配属されて以降、二番隊による獣人の「狩り」場の「予測」が格段に当たるようになった。 銃騎士隊の上層部はジュリアスの能力を高く評価し、十代では異例中の異例とまで言える二番隊長代行の役まで上り詰めた。 ****** 兄ジュリアスの隊長代行就任は彼らの父親の意向が多分に含まれた人事ではあったが、シリウスは父親は関係なしに真っ当な人事だと思っていた。 (兄さんは素晴らしい人だ) 強くて聡明で優しくて頼りがいのある自慢の兄に、銃騎士隊の隊長代行という栄誉ある役職はとてもふさわしいと思う。 ついでに、自分たちの父親であるアークを二番隊長の職から引きずり下ろして、兄こそが二番隊長になればいいのにとも本気で思っていた。 (兄さんは、光輝く場所に居続けてほしい) そのためならば、シリウスは自分の本来の存在を消すことも、命の危険に晒されることも厭わなかった。 自分は兄の手足となり、影となり、兄の支えになれることが嬉しい。兄のために生きることがシリウスの喜びだった。 (俺は、兄さんのために生きている) ただこれからは、彼女――ナディアのためにも生きていきたいと思う。 シリウスは腕の中のナディアを見つめた。 初めて彼女に会った時の衝撃は今でも忘れられない。 ナディアは獣人というよりは人間に近い見た目の、どこにでもいそうな普通の女の子だ。だがシリウスにとっては特別な女性だ。出会いの場でどうしようもなく惹かれてしまった。
好きになるのは必然だった。 ――たとえ君が嫌だと言っても、俺は君をもらう。幸いにしてあれだけしつこかった男も追いかけては来なかったので、ナディアは貞操を死守することに成功はしたものの、周囲の光景を見てただ唖然としていた。(ここ、里じゃない) 舗装された道路に、整然と並んで建つ建物。馬車が何台も行き交い、歩道を歩く人々はみな人間で、獣人なんて一人もいない。 おそらくどこかの人間の街だ。ナディアは父の自室で意識を失った後に、あの男のそばで素っ裸で目覚めるまでの間に、里から連れ出されていたことを理解する。(誰に?) ナディアの脳裏には、自分の指を噛みながら怪しい目つきでこちらを見るミランダがいた。彼女は魔法使いだった。 こんなことができるのはきっとミランダか、先程の得体の知れない男か。 ナディアの胸に、騙された、という思いが宿る。 ミランダはおっちょこちょいで寂しがり屋で頼りなさそうな雰囲気を常に醸し出していた少女で、ナディアはそんな彼女を放っておけずにいつも面倒を見ていた。ミランダもそんな自分を慕ってくれていて、いつしか獣人と人間の垣根を超えた友情を感じるようになっていた。ミランダを妹のように大切に思っていた。それなのに、おそらく彼女は敵だったのだろう。 ナディアは暗い気持ちになりながら、自分が今いる居場所もわからずにとぼとぼと道を歩いていた。途中で飲食店の大きな看板が目に入り、首都の名前が書かれていたことから、ここが首都だとわかる。(ミランダは私を首都まで連れてきて一体どうしたかったの?) 道行く人に獣人だとわかればきっとナディアは捕まって殺されてしまう。人間社会では獣人は「悪」そのものであって、見つかれば殺処分だ。 ナディアはミランダが自分を殺そうとしてここまで連れてきたとは思いたくない。彼女は瀕死のリュージュを魔法を使って助けていたし、根は悪い子じゃない。(まさかとは思うけど、ミランダは私をさっきの男と番わせようとしたのかな……) あの男に襲われかかっていたことを思い出して、ぶるりと体を震わせていると、鼻腔がミランダの匂いを嗅いだのでナディアはハッと立ち止まった。振り返ると、暗い顔をしたミランダがすぐそばまで来ていた。「ミランダ、一体どういうつもりなの?」「ごめんね、ナディアちゃん……」「私のことを裏切ってたの? 私を首都まで連れてきてどうするつもりよ?」「ごめん、本当にごめん…… でも俺が絶対に
天井から、ドタン、バタンと激しい音がする。 平民魔法使い一家ブラッドレイ家の五男カインは、上を向いてその音を聞きながら、さてどうしたものかと考えてあぐねていた。 ブラッドレイ家は母以外は魔法が使えるが、魔法使いの存在が稀であることと、この世界では「魔法は空想上のもの」という考えが一般的で、一部を除きその存在は秘匿されている。 本日、カインはすぐ下の弟シオンの面倒を見ながら留守番をするよう言い渡されていた。母はカインのすぐ上の兄セシルがしでかしてしまったことのお詫び行脚をするべく、セシルと一歳の弟レオハルトと共に出かけてしまっている。 四歳のシオンと遊んでいると、しばらく会っていなかった次兄シリウスがいきなり帰ってきた。兄は腕に一人の少女を抱えていたが、カインはその少女に見覚えがあった。というか、シリウスが以前「俺の嫁だ」と言って写真を見せびらかしていたので知っていた。 兄がお嫁さんを連れて帰ってきた。「これから大人のムフフな時間が始まるから、チビッ子たちには刺激が強すぎるから覗くんじゃないぞ」 シリウスはそう言って少女を連れていそいそと二階へ上がっていった。 そして起こる異変。 窓ガラスが割れる音が響き渡り、泥棒でも来たのかとカインは遠視の魔法で自宅回りを警戒する。 鳥になったような感覚で家の中や周囲を俯瞰的に見ていると、すぐに庭に素っ裸の次兄シリウスが倒れているのを発見した。シリウスの顔にはかなり強く殴られた痕がある。 『え? シー兄さん? 大丈夫?』 精神感応により次兄の頭に直接語りかけてみると、兄がムクリと起き上がった。『大丈夫だぞカイ。問題ない問題ない。はっはっは』 シリウスは笑い声で返して自分の頬を自分で治療した。どう考えてもお嫁さんに殴られたとしか思えないが、指摘してはいけないような気がしてカインは黙っていた。そのうちに兄の姿が消える。 兄は瞬間移動により自分の部屋に戻ったらしいが、次兄の部屋は防視の魔法がかけられているらしく、カインの遠視の魔法では部屋の中がどうなっているのかわからなかった。 そして時折激しく響いてくる争うような音。 カインはまだ七歳だが、シリウスが言っていたムフフが何を意味するのかは理解していた。でもお嫁さんになる人なのだからいいのだろうと思っていた。 しかし、どうやら
ナディアはある時、義兄セドリックとその友人の会話をたまたま立ち聞きしてまうことがあった。 『お前さあ、ナディアと仲良いよな。血が繋がってないし番になるのか?』 『まさか。ナディアのことは妹としては可愛いと思うけど、女としては見れないよ』 『そうだよなあ、獣人なのにあの顔じゃなあ』 セドリックの友人の笑い声を背に、ナディアはその場から走り去った。いつもであれば馬鹿笑いするその少年の顔に鉄槌をお見舞いしている所だったが、セドリックに恋愛対象外だと突きつけられたことが衝撃的すぎて、受け止めきれずにその場から逃げるしかなかった。 セドリックとはとても仲が良かったけれど、恋愛感情を抱いていたのは自分だけだったのだ。身の程もわきまえずに一方的にこんな馬鹿みたいな思いを抱いていたことが恥ずかしかった。風下にいたために匂いで彼らに立ち聞きをしていると気づかれなくてよかったと思った。 ナディアのナディアの認識では自分の容姿は獣人界においては下の下の下だ。こんな醜い容姿をしておきながら、獣人として当たり前のように美しい容姿を持つセドリックと恋人になれるかもしれないなんて期待していたことが滑稽だった。 以降、ナディアは何食わぬ顔でセドリックとその家族との生活を続けた。セドリックは直接ナディアの容姿を馬鹿にしたり意地悪することもなく、血の繋がらないナディアに対して他の弟妹たちと別け隔てなく接する優しい人だった。ナディアのことを「可愛いよ」と言ってはくれたけど、それは妹として、家族としての思いなのだ。勘違いしていた自分が馬鹿だったのだ。 その後、ナディアはセドリックに番ができたことを祝福し、彼らの門出を見送った。セドリックとはその後も義兄妹として良好な関係を続けることができた。好きだったなんて言わなくて本当に良かったと思っている。 ナディアはもし自分が番を持つならおそらく人間だろうなとぼんやり考えていた。仕事上、人間との接点は多かったから。 今回のことは驚きや衝撃よりも怒りの方が強いかもしれない。危うく勝手に番を決められる所だった。 ――この時のナディアは、自分はまだ故郷である獣人の里にいると思っていた。 ナディアが眠る前の最後の光景は、妖しく笑うミランダと、足元で倒れている血塗れの異母弟リュージュだった。気配を探るがミランダもリュージュも近くには
『心配しないで。二人っきりになったら戻してあげるよ』 父である獣人王シドの私室で危機的な状況に遭遇していたナディアは、男の口調に変わった親友ミランダにそう言われた直後に、意識を失ってしまった。 次に目が覚めると、どうしてこうなったのかよくわからないが、裸で寝転んでいる自分の上に、これまで見たことがないほどに美しい男が乗っていた。 しかも、白金髪に灰色の瞳をしたその男は、ナディアと同じくなぜか全裸だった。 呆けそうになるくらい顔も肉体も美しい男だったが、ナディアはその全く知らない相手と、なぜか性交直前だった。 ナディアは夢の中で自分の体からおかしな感覚がすると思っていたが、以前何度か同じようなことがあったため、夢の中のナディアはあまり気にしていなかった。けれど、今回ばかりは何だかいつもと違った。 目覚めることができたのは、自身の危機を察知したナディアの本能ゆえだった。確かに目覚めてみれば、一世一代乙女の危機だった。 「おはよう、ナディアちゃん」 男はなぜか自分の名前を知っていた。男は、耳が喜んで気絶しそうなほどの色っぽくも美しい声でそう言った後に、綺麗すぎる顔に極上の笑みを浮かべていたが、にっこりと笑顔を浮かべて挨拶を交わしている場合ではない。お互い全裸で、挿入はしていないまでも性器同士を触れ合わせているという、とんでもない状況だった。しかも相手は、極上美形とはいえ全く知らない男だ。 驚いて混乱するよりも、悲鳴を上げるよりも先に、反射的に手が出た。拳がうなり、男の綺麗な顔に炸裂する。 男の体が吹っ飛び、部屋の窓を突き破って外へ落ちて行った。ナディアの渾身の鉄拳はそのくらいの勢いのある全力の一撃だった。 ナディアは肩で息をしながら、ハッとして頭を抱え、『ああ、またやってしまった』と思った。 ナディアは、獣人としては美しさが足りなくてむしろ人間にしか見えないという自らの容姿のせいで、昔から馬鹿にされることが多かった。 ナディアはその度に相手を殴って黙らせてきた。 手癖の悪さは父親譲りのようだった。話し合うよりも先に、とりあえず殴って自分の気持ちをすっきりさせてしまう。 ナディアは赤子の頃に母親が蒸発してしまい、引き取って育ててくれた先で共に育った義理の兄からは、「そういうのあまり良くないよ」と苦言を呈されたりもしてい
シリウスは自分の実家、ブラッドレイ家に帰って来ていた。 しばらくぶりに戻った自室のベッドに彼女を横たえる。「ナディアちゃん」 頬を撫でて声をかけてみるが彼女は目を覚まさない。シリウスは眠ったままのナディアの服に手をかけた。 服を脱がせて下着を取ると大きくて形の良い胸がふるりと露出する。シリウスは胸の間に顔を埋めて深く深く呼吸して、ナディアの匂いを身の内に取り込んだ。「ナディア、愛してるよ…… やっと俺のものに……」 一通り柔らかな感触を楽しんでから、彼女の衣服を全て取り去る。太ももを掴んで脚を広げると、彼女の薄い陰毛の中心部にある花が開いた。 シリウスは長く綺麗な指で花弁の上部にある花芯に触れる。摘んでコリコリと潰すように刺激すると、花芯が勃ち上がってきて、眠るナディアの呼吸が早くなった。 シリウスは指を一本花の中心に沈み込ませる。そこは既に蜜をたたえていて、指を動かす度にぬちゅぬちゅと卑猥な音を立てた。 シリウスは指を曲げてナディアの良い所を刺激した。彼女の体のどこがいいのかは知り尽くしている。何度も何度もナディアに触れて、シリウスは研究と開発を繰り返してきた。ナディアは意識のないまま、もうずっとシリウスに可愛がられていた。 ――しかし今回の失態はナディアとのこの秘密の営みのせいだった。『ミランダ』という架空の少女に化けたシリウスは、毎日のようにナディアとお風呂に入っていた。最初の頃はそれでも我慢していたが、大好きな女の子が全裸で目の前にいることに耐えきれずに、そのうち思いは爆発した。 二人きりの入浴中、シリウスは魔法でナディアの意識を奪い、その体に触れるようになった。 注意はしていたつもりだった。あまり長い時間浴室を独占しているとおかしく思われるし、刺激が強すぎるとナディア自身がきっと違和感に気づく。だから営みはごく短時間。 獣人の里への潜入中は正体がばれないように、どんな時でも変幻しているという自分なりのルールを作っていたから、もし覗く者がいれば女同士が乳繰り合っているようにしか見えなかっただろう。 もっとも、誰も覗けないように魔法は使っていたからそれは無理なのだが。 秘密の睦事は誰にもばれないようにしていたつもりだった。もちろん本人にも。 普通なら毎回風呂場でいつの間にか寝ていることをおかしく思ってもいいはずだが、ナディ
首都中枢に位置する銃騎士隊本部。 二番隊長の執務室で一人仕事をしていた二番隊長代行ジュリアス・ブラッドレイは、窓からの陽が当たらず暗くなった壁の一角に突如現れた人物に気づき、瞬時に幻視と防音の魔法を執務室の周囲にかけた。 ジュリアスは魔法使いだ。そのことはごく一部の者しか知らない。「兄さん、すまない。しくじった」 声は幼さの残る若い女のものだ。部屋の影になった部分からその人物が一歩踏み出す。 目の前にいるのは、茶色の瞳を持ち、波打つ茶色の髪を肩まで下ろした十代前半くらいの少女だった。「シリウス……」 ジュリアスは椅子から立ち上がり、その人物の本名を驚きと共に呼んだ。 家族だけでいる時、他の者に彼らの秘密が絶対に漏れることのない場面では、ジュリアスは弟を真名で呼ぶ。 目の前の少女の正体は、ジュリアスのすぐ下の弟であるシリウス・ブラッドレイだ。 シリウスもジュリアスと同様に魔法使いだった。少女の姿をしているのは自身の姿替えの魔法によるものだ。 少女の姿が一瞬にして青年の姿へと変わる。 白金色の髪を持ったシリウスの面差しはジュリアスに似ていて、冴え渡るような類稀なる美貌を誇っている。 ただ、シリウスの瞳の色は灰色で、紺碧の瞳を持つジュリアスとはそこが違っていた。「妙な動きをしていることをシドに勘づかれた。ごめん、逃げてくるしかなかった。『ミランダ』はもう使えないな」 声も男性の低いものに変わる。ジュリアスの目の前にいる青年こそが、任務上は「オリオン」と偽名を使い、銃騎士隊の面々の前では茶髪の少年の姿になることが多い、弟シリウスの真の姿だった。 ブラッドレイ家は有名な一家で、シリウスという名前からブラッドレイ家の次男を連想する者は多い。 シリウスは獣人の里に潜入すると決めた時から「シリウス・ブラッドレイ」という本来の自分の存在を消してしまった。 シリウスは表向きは急な病に倒れ、医療の進んだ海の向こうの専門病院に入院していることになっている。 そして「オリオン」と偽名を名乗り、ジュリアスたちの指示の下で、諜報活動に特化した役を担うようになった。 偽名を使っているのは正体が暴かれることを防ぐ意図もあるが、シリウスにとっては一つのけじめでもあった。「オリオン」がいなくなって「シリウス・ブラッドレイ」に戻る時、彼ら兄弟の目的は達成されて







